今年100回目の記念大会の夏の甲子園
過去の甲子園のヒーローを集めた甲子園レジェンド始球式が行われます。
プロ野球で活躍した松井秀喜さんや桑田真澄さんなども登場します。
しかし、プロ野球に進むことなくそれでも甲子園ファンの記憶に焼き付いている選手といえば、、、
バンビ君の愛称で甲子園を熱狂の渦に巻き込んだ愛知代表東邦高校の坂本啓一さんでしょう!
坂本佳一バンビと呼ばれた理由
2018年8月5日ついに
全国高校野球選手権大会記念大会
『100回』
100年の
記憶と記録
甲子園は聖地
100回記念大会で特別ゲスト
坂本佳一さんと
副島浩史さん pic.twitter.com/3sh6enr3un— 草岡 和岐 (@K4pripara627) 2018年8月5日
愛知代表東邦高校の坂本佳一さんはバンビの愛称で甲子園のアイドルとなりましたが、
出場したのは一年生の時の1回だけです。
しかしその大会はバンビフィーバーとなりました。
なんと坂本佳一さんは投手を始めて4ヶ月弱。
にもかかわらず決勝までの5試合を1人で投げ抜き、
決勝戦で東洋大姫路にサヨナラ負けを喫したものの準優勝を果たしたのです。
しかし甲子園のヒーローバンビ君は二度とそのマウンドを踏むことはありませんでした。
坂本佳一 クロヅルくんからバンビに

当時15歳、まだ投手として体が出あがってなかった坂本佳一さんは
身長176cmに対して体重が62キロと痩せ型で華奢な体格でした。
真っ黒に日に焼けてひょろりとして細長い首をしていたことから最初はマスコミから、
クロヅル(黒鶴)くんと呼ばれていました。
しかし、勝ち進むにつれて華奢でひたむきな一年生のエース坂本佳一さんを
誰もが応援せずにはいられませんでした
決勝戦までの5試合、そして決勝の延長10回を1人で投げ抜き、
延長10回サヨナラ負けを喫した坂本投手
その後、クロヅルくんから、かわいい名前のバンビに
日本人特有の判官贔屓も加わり
一気に坂本投手は甲子園の伝説となったのです。
1977年の甲子園大会の坂本投手の成績(画像)
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201804160000703.html
細かな成績は残っていないのですが、坂本投手の成績を紹介すると
一回戦の松山商業戦では5安打2失点に抑え、勝利投手。
続く3回戦の黒沢尻工業
そして準々決勝の古豪の熊本工業は2試合連続完封
これがレジェンドのスタートでした。
そして準決勝は大鉄高校相手に5対3で勝利
決勝の東洋大姫路戦は松本正志(元阪急)投手と投合い
1対1で、延長にもつれこみます。
しかし東洋大姫路の4番打者安田選手にサヨナラ3ランを喫し結果的に4対1とは東邦高校は破れ
準優勝となったのです。
この決勝戦の球数は158球
大会の坂本さんの5試合の投球数は663球でした。
現在ではドクターストップがかかる投球数ですね。
坂本佳一その後の野球成績(画像)

しかし一年生の夏に経験した甲子園準優勝のプレッシャーからか、また周りの
の注目の高さからか2年生、3年生で甲子園の大会に出場することはできませんでした。
惜しかったのは二年生の夏の大会決勝戦で名古屋電気校(現:愛工大名電)で破れたことでしょう。
そして、大学以降の野球の成績はあまり振るわず
法政大学そして日本鋼管で野球を続けましたが
成績は振るわず。試合に出場することができなかったようです。
現在、坂本佳一さんは名古屋本社をおく岡谷鋼機の室長として
働きながら「フィールド・オブ・ドリームス」という
団体を設立して若者の野球選手の育成に励んでいます。