安仁屋宗八の甲子園成績とレジェンド始球式!沖縄初の甲子園!高校野球は平和の証

安仁屋宗八(あにや そうはち:73)さんが夏の甲子園大会100回記念の始球式であるレジェンド始球式を務めます。

安仁屋宗八さんは米国統治下にあった沖縄出身で
初めて甲子園の土を踏んだの選手の一人で社会人野球、
そしてプロ野球(広島東洋カープ 阪神タイガース)でも沖縄人初の選手となりました。

安仁屋という珍しい名字は人気の野球漫画・映画・ドラマ
ルーキーズの主人公の名前にもなりました。

安仁屋宗八さんの沖縄初の甲子園出場の成績とレジェンド始球式についてまとめてみました。







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安仁屋 宗八プロフィール

71歳カープの始球式で時速96Kmのストライク

安仁屋 宗八(あにや そうはち)
元プロ野球投手
出身地 沖縄県那覇市
生年月日 1944年8月17日(73歳)
身長  177 cm 体重75 kg
投球・打席 右投右打

安仁屋 宗八 野球経歴

沖縄高等学校 (昭和37年の夏の甲子園大会出場)
社会人野球 琉球煙草

プロ入り 1964年
広島東洋カープ (1964 – 1974)
阪神タイガース (1975 – 1979)
広島東洋カープ (1980 – 1981)

監督・コーチ歴
広島東洋カープ (1982 – 1997, 2005)

安仁屋ベースボールクラブ
安仁屋ベースボールTRY
安仁屋ベースボールクラブ
西原マリンパーク安仁屋BBC
クリード安仁屋ベースボールクラブ






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安仁屋宗八 米国の統治の沖縄で初の甲子園出場

画像)https://news.goo.ne.jp/picture/entertainment/dailychushicolumn-20170912041.html

安仁屋宗八さんの「宗八」という名前は12人兄弟の8男として生まれたことから「宗八」とつけらたそうです。

安仁屋さんが野球を始めたのは小学4年生のときです。

当時の沖縄はテレビなどでは巨人軍の情報しか入らなかったようで、
安仁屋さんは巨人ファンで、藤田元司に憧れを抱いていたそうです。

野球をはじめたころは内野と投手のかけもちでしたが沖縄高校に進み
野球部で2年時に投手に専念。

そして、1962年に南九州予選の決勝で宮崎大淀を破り
沖縄県の高校として念願ともいえる初めて実力での夏の甲子園に出場を果たしました。

当時は沖縄県代表ではなく南九州代表として
宮崎県、鹿児島県、沖縄県からの勝ち上がった1校です。

夏の甲子園出場は長く米国の統治下にあった沖縄県人の念願の夢でした。

安仁屋宗八 甲子園での成績は?

画像)https://news.goo.ne.jp/picture/entertainment/dailychushicolumn-20170919050.html

レジェンド始球式で甲子園のマウンドを踏む安仁屋宗八さんも
100回を記念する甲子園には万感の思いでしょう。

安仁屋宗八さんが出場した
1962年の甲子園大会は大いに沸きました。

大応援団が来れない沖縄の代表に
甲子園では他校のブラスバンドも友情出演して応援を盛り上げてくれました。

安仁屋宗八沖縄高校VS広島広陵

安仁屋宗八投手を擁する沖縄高校の1回戦の相手は広島の広陵でした。

広陵は“長嶋二世”といわれた山本英規(巨人)と佐々木孝次(中日)というプロ入りした選手を
連ねる優勝候補でした。

結果は4対6の接戦の末、沖縄高校は負けました。

甲子園での安仁屋宗八さんの投手成績ですが詳しいデータはネット上には残っていませんでした。

安仁屋宗八さんを擁する沖縄高校は1回戦で広陵に敗退しましたが、
沖縄の人たちの夢を背負い甲子園で戦った姿は沖縄県民、そして日本全国の熱い応援を受けました。







安仁屋宗八 甲子園始球式 高校野球は平和のあかし

8月15日終戦の日にレジェンド始球式を行う安仁屋宗八さん

初めて甲子園の土を踏んだ年前は66年前
沖縄の高校野球は甲子園なんて出られる場所ではないと思っていたそうです。

南九州大会に出ることが目標で
野球の試合より汽車や船に乗れることの方が楽しみだったと語っています。

当時は沖縄はまだ米国の統治下

日本の本土は外国と同じで

沖縄高校の野球部メンバーは南九州大会ゆくにも予防接種を受け
そしてドルを円に替え、渡航証明書を片手に宮崎へ向かったそうです。

当時の安仁屋さんたちは宮崎で食べたすき焼きに感激、沖縄は豚肉しかなかったそうなんです。

そして、甲子園球場の美しさとスタンドの高さも圧倒されたと語っています。

しかし、今や沖縄の高校は甲子園で常連の強豪チームが多く存在します。

76-78年には石嶺選手(元阪急)・赤嶺投手(元巨人)を擁する豊見城高が3年連続の8強進出
沖縄水産が2年連続(90-91年)準優勝、センバツで沖縄尚学が2度優勝(99、2008年)
2010年には興南が春夏連覇の偉業

甲子園は遠い存在だった
当時の安仁屋さんからは夢のような時代が到来したのです。

今の高校野球の繁栄
しかし、その第一歩は平和への願い
そして、安仁屋さんたち沖縄高校の初出場から始まったことを忘れてはなりません。

安仁屋宗八8月15日終戦の日に甲子園での始球式

昭和37年の夏の甲子園の初戦で対戦したのは原爆が透過された広島の広陵

戦争で大被害を受けた地域同士の試合は当時、「平和の戦い」と報じられたました。

安仁屋宗八さんは
疎開中、爆撃を受けて生死の境をさまよったこともあるそうです。

戦争による中断があったものの高校野球夏の甲子園は100回めを迎えました。

8月15日終戦の日
安仁屋宗八さんは万感の思いで甲子園のマウンドを踏みしめることでしょう。

今も戦争という言葉は口に出したくないし、なるべく避けてきた。僕自身も大分に疎開中、爆撃を受けて生死の境をさまよったと聞いている。落ち込んだときであっても、生きていることに感謝しないと。高校野球が今まで続いてきたのも平和の証しなんだと思う。

感動したのは全国の沖縄県人会の人たちが甲子園まで来てくれたこと。かりゆし姿や沖縄のはちまきを巻いて応援してくれた。あの時の指笛は今も忘れられないよ。

https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASH7L4CLDH7LPLZB012.html







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