板東英二の甲子園の成績・奪三振記録がサードのおかげで凄すぎ!?

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板東英二の甲子園の成績スポーツ・アスリート

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ホントウはすごい坂東英二

甲子園の奪三振記録

甲子園大会における奪三振記録のNo1は誰だと思いますか?

桑田真澄投手、松坂大輔投手、斎藤佑樹投手、田中将大投手、松井裕樹投手
などなどが浮かびますよね。

実は意外や意外な人物なんです。

未だに破られたことのない甲子園一大会における奪三振記録保持者は
坂東英二さんなんです!

板東英二さんといえば、タレントだと思っている方も少なからずだと思いますが、
徳島商業の投手として甲子園に出場しています。

画像)https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201712210000349.html

甲子園100回記念大会のレジェンド始球式にその板東英二さんが登場します。

坂東さんは未だに破られていない奪三振の凄い記録を持っているんですがそれは
同僚のサードのおかげというエピソードも?

そしてプロ野球選手としては、中日ドラゴンズに所属して全盛期の巨人キラーとして活躍しました。

引退後は野球解説者から得意の喋りでタレントや司会者としても大活躍

身長も小柄な坂東さんは元プロ野球選手といわれてもピンと来ないですが
その板東英二さんが本当に凄い野球選手だったということを甲子園の成績や記録からまとめてみました。







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板東英二のプロフィール

板東英二(バンドウエイジ)

元プロ野球選手・野球解説者・タレント・司会者・実業家
生年月日:1940年4月5日 (78歳)
出身地:満州国虎林
徳島県板野郡板東町育ち
身長/体重:170 cm / 70 kg

野球経歴
徳島県立徳島商業高等学校
中日ドラゴンズ (1959 – 1969)

高校野球の延長戦ルールを作った板東英二

今年から高校野球の延長戦に対してタイブレークのルールが適用され話題になりましたが、
最初に高校野球の延長戦のルールが作られたのは板東英二さんのに熱投に次ぐ熱投からでした。

1958年の甲子園大会の予選の前哨戦ともいえる
春の四国地区高等学校野球大会

徳島県立徳島商業高等学校3年の板東英二さんはなんと!

準決勝戦の対高知市立高知商業高等学校戦で延長16回を完投
翌々日の決勝戦の対香川県立高松商業高等学校戦でも、延長25回を完投


画像)http://kanchigai.biz/%E5%85%83%E7%A5%96%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E6%9D%BF%E6%9D%B1%E8%8B%B1%E4%BA%8C%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E9%87%91%E6%8C%81%E3%81%A1%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95.html

延長18回引き分け再試合のルールはこうして出来た

2試合で41回!
コレは凄すぎますね!

この完投で一躍全国に名を轟かせることとなった板東英二さんですが
この事態を重く見た日本高等学校野球連盟は、延長戦に関するルールを急遽変更

延長18回裏の時点で引き分けの場合は一旦試合終了し再試合のルールとしたのです。

実際にこのルールが甲子園で適用されたのは
あの太田幸司投手の三沢高校対井上明投手の高松商業の延長18回引き分け再試合です。

このルールのもとは板東英二さんだったんです。

これは驚きでした!






板東英二は甲子園でサードというキーワードの理由は

その四国地区高等学校野球大会の完投に次ぐ完投の鉄人ぶりで
板東英二擁する徳島商業は1958年夏の甲子園大会に乗り込みます!

もちろん大会No1の投手板東英二を擁する徳島商業は優勝候補の筆頭としてあげられていました。

しかし、Yahooの検索では「板東英二 甲子園 サード」というキーワードが出てきます。

板東英二さんは肩を壊してこの大会はサードで出場したのか?

卓球部出身サードのおかげで奪三振王になった板東英二さん

画像)http://number.bunshun.jp/articles/-/828507

実は板東英二さんが、未だ甲子園で記録が破られていない奪三振王となったのは
卓球部出身サードの玉置秀雄選手のおかげだというのです。

甲子園を決めた徳島県立徳島商業高等学校ですが
野球部の部員が足りなかったのです。

甲子園の予選直前にして部員は8人
これでは予選に出ることもできません。

そこで急遽、中学のときに卓球部だった玉置秀雄さんを選手として
無理やり?ユニフォームを着せて3塁を守ってもらうことになったのだそうです。

サードに打たれれば万事休す

まるで漫画の世界にありそうなことですが
今の高校野球から思うと相当無茶ですよね。

当然、野球は素人の玉置秀雄さん
三塁にボールが飛んでくれば万事休すです。

そこで、坂東さんは、三塁側に打たせない!常に三振を取ることしか
考えていなかったそうです。

毎試合15奪三振を奪わかければ
監督に怒られて走らされるから常に三振を狙った投球を心がけていたそうです。

そしてこの玉置秀雄さんがサードを守ることで
未だに破られることのない甲子園の奪三振記録が生まれたのです!







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板東英二の甲子園での成績・記録は奪三振が凄すぎ

夏の全国高校野球選手権大会で1大会奪三振ランキングをあげると
1位~3位がこのようになります。

1位 板東英二(徳島商業) 83個 (1958年準優勝)
2位 斎藤佑樹(早稲田実業)78個 (2006年優勝)
3位 松井裕樹(桐光学園) 68個 (2012年優勝)

やはり大会で投げる試合数の多さによりますので
全員優勝投手か準優勝投手となりますが
板東英二さんが83個ダントツに多いのがわかりますね。

1958年第40回夏の甲子園板東英二の奪三振ショー

1958年の夏の大会で2回戦から登場した板東さんは全試合完投
その奪三振の記録は

2回戦  秋田市立秋田商業高等学校戦(17奪三振)
3回戦  福岡県立八女高等学校戦(15奪三振)
準々決勝 富山県立魚津高等学校戦 延長18回引き分け(25奪三振)
再試合 (9奪三振)
準決勝  作新学院(14奪三振)
決勝   山口県立柳井高等学校(3奪三振)

肩の痛みに耐えて83奪三振の甲子園記録

実は坂東投手準々決勝 富山県立魚津高等学校戦では右肩を痛めていたそうですが
引き分け再試合で25奪三振を記録。
翌日の再試合では腰の痛みを押さえるため麻酔注射を打って登板
9奪三振で完投勝利したものの3回頃から麻酔が切れ痛みが激しかったそうです。

準決勝では作新学院には14奪三振の好投をみせるも
決勝では肩の酷使から山口県立柳井高等学校に敗れました。

しかし、この大会を通じて坂東投手が記録した83奪三振は
おそらくタイブレイク制や投球制限などのルール変更のの中で
今後も破られることのない甲子園の記録として残ってゆくでしょう。






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板東英二プロ野球での成績と記録

1959年、中日ドラゴンズに入団した板東英二さんは
1961年には、21歳のエースとして開幕投手を務めます。

また、坂東さんらい面白い記録1球で勝利投手になった記録も
1966年8月26日の読売ジャイアンツ戦中継ぎ登板で記録しています。

投手としてはとしては好調な中継ぎでチームの勝利に貢献していた
板東英二さんですが、右肘の軟骨の緊急手術が原因となり1969年で引退しています。

板東さんのプロ野球での成績は

画像)https://芸能人の嫁特集.com/2017/11/01/%E6%9D%BF%E6%9D%B1%E8%8B%B1%E4%BA%8C%E3%81%8C%E5%AB%81%E3%81%A8%E9%9B%A2%E5%A9%9A%E3%81%AE%E5%99%82%E3%81%8C%EF%BC%9F%E5%AE%9F%E5%AE%B6%E3%81%AF%E8%B3%87%E7%94%A3%E5%AE%B6%E3%81%A7%E9%87%91%E6%8C%81/

中日ドラゴンズで通算11年435試合に登板

77勝65敗
748奪三振
防御率2.89

の成績を残しています。

引退後は、CBCの野球解説者を経て上岡龍太郎と知り合い
饒舌振りが評価され司会業やタレントとして活躍している板東英二さんですが
甲子園の奪三振記録を持っていなんて初めて知りました。

レジエンド始球式も口より腕が先にでるか楽しみですね!






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