夏の甲子園の100回を記念してレジェンド始球式が行われていますが、今回は8月20日に始球式に登場予定のPL学園の桑田真澄投手の高校野球史に残る名試合を中心に紹介したいと思います。
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1年生の桑田真澄投手が水野雄二を擁する池田高校を完封
桑田真澄投手は5回も甲子園出場を果たしていますが、その中でも伝説的な活躍の試合の1つ目は、背番号11番を付け1年生で出場した1983年の夏の甲子園で、水野雄二を擁する池田高校を完封した試合と言えるでしょう。
当時の池田高校はやまびこ打線と呼ばれる強烈な打線を武器に、前年の夏、その年の春の甲子園を制し、その大会では夏・春・夏の3連覇を目指すチームでした。
この池田高校との対戦で、何とやまびこ打線を完封し、7-0でPL学園を勝利に導きました。またこの試合では甲子園で一度もホームランを打たれた事のない水野雄二投手からホームランまで放ち、一躍桑田真澄投手は有名になりました。
【池田高校を完封したPL学園背番号11 一年生の桑田投手】
池田高校はCMにも出るほどの知名度と人気の高校で、これを完封した桑田投手の活躍は正に衝撃的で、伝説となったのです。その大会ではPL学園は横浜商業高校を下して優勝を飾りました。
3年生の桑田真澄投手の取手二高との決勝戦
2つめの伝説に残る試合は、1984年の2年生で迎えた夏の大会の決勝戦でしょう。試合は延長戦に縺れ込み、延長10回表の1死1塁2塁の場面で、桑田投手が投じた内角高めのボール球を取手二高の5番の中島彰一選手が大根切のスイングで甲子園右中間へのホームランとしたのです。まさに奇跡的で歓声と悲鳴が甲子園を包み込みました。
この時には、実は桑田投手はすでに中指の豆を潰す不運に見舞われており、カーブが投げられず、直球一本で勝負していたのです。そして169球を投げて、8失点でマウンドを降り右翼の守備へと交替しました。桑田投手にとっては、夏の甲子園大会で唯一喫した敗北でした。
84年夏の #甲子園 で #取手二高 に敗れた #PL学園 の #桑田真澄 選手が #取手 に来た話です。 #ほどよく絶妙 #ほどよく絶妙とりで #取手市 【日刊スポーツ】取手に負けた理由を探しに行った/桑田真澄 高校野球編 – 野球コラム https://t.co/rae5K0d9uW pic.twitter.com/x1jZBN6uGp
— 取手市情報ページ@ほどよく絶妙とりで (@torideinfo) 2018年2月2日
この試合を通じ、取手二高の野球にPL野球とは大きく異なる点を感じ、後日取手二高を訪れ、その練習方法等を学びに出かけた言う話が残されています。
桑田真澄はその後の読売巨人での活躍を含め、天才と呼ばれる事もありますが、本人の著書によれば超効率的努力と記されており、この取手二高を訪れて学ぶ姿勢はこれを証明していると言えるでしょう。
【1984 全国高校野球 取手二 vs PL学園】
桑田、清原のkkコンビが果たしたPL学園2度の優勝盾。よく見ると、65と67の数字はあるけど、66がありませんね。では66は……そうです!我が茨城の普通の県立高校である「取手二高」がPL学園を直接決勝で下し、茨城県勢初優勝を果たしたのです! pic.twitter.com/C6VjGOLWp7
— home (@home33) 2018年8月4日
桑田真澄の甲子園投手成績
桑田真澄選手は春・夏合わせて5回の出場を果たし、25試合に登板し20勝3敗の成績を残しています。これは昭和初期に活躍した吉田正男氏に次いで甲子園投手成績としては2位の成績で、旧制中学から新制高校への制度変更後では1位の成績です。
この成績をプロ野球に進んだ時の事を考え、カーブと直球の球種だけを磨いて上げた事はまさに驚きであり、やはり天才肌と言わざるを得ない一面を感じさせられます。
まとめ
PL学園の桑田真澄投手は、甲子園での投手成績として実質的に1位の成績を残し、甲子園のレジェンドとなりました。また打撃でも清原和博に次ぐ歴代2位の6本の本塁打を記録しています。
さらに夏の甲子園の優勝投手はプロで大成しないと言われていましたが、1年生と3年生の夏に優勝した桑田真澄投手は、プロで173勝の成績を残し、このジンクスも簡単に破ったのです。まさにレジェンドと言うにふさわしい話と言えるでしょう。