甲子園 レジェンド始球式

佐々木主浩投手の東北高校での甲子園の成績と東北福祉大学での成績

夏の甲子園の100回記念で行われているレジェンド始球式を8月20日の第2試合に担当するのが、プロ野球で活躍し大魔神のニックネームで親しまれた佐々木主浩投手です。

プロ野球での活躍は多くの人が知る所ですが、本記事では彼のアマチュア時代の野球成績に焦点を当ててまとめて見たいと思います。







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佐々木主浩投手の甲子園での成績

佐々木投手は大阪のPL学園のKKコンビとして有名な清原和博氏、桑田真澄氏と同学年で、東北高校の2年生の夏からエースとして3季連続で甲子園に出場しています。

東北高校時代には球種はストレートとカーブだけでしたが、3度の甲子園では通算10試合に登板し、9試合に完投して7勝3敗で防御率1.23という素晴らしい成績でチームを2度のベスト8に導きました。

3年生の夏には腰痛に苦しみ、県大会の3回戦では右足親指のマメをつぶしながら力投を続け、県大会決勝では3本の痛み止め注射を打ち満身創痍で甲子園進出を果たしました。

先に記載した様に投手として立派な戦績を残している佐々木主浩投手ですが、PL全盛時代にあって、多くの人の記憶に残っているとは言えないのが現実でしょう。

それでも後にプロ野球やMLBで大活躍した佐々木主浩投手にとっても、甲子園は特別な雰囲気を持つ場所であったと振り返り、またチームメートには葛西稔氏がおり、大阪で開催された甲子園100周年のある記念座談会では「葛西にはマウンドを譲りたくなかった」とチーム内のライバルの存在を懐かしげに語っていました。







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佐々木主浩投手の東北福祉大学での成績

東北高校卒業後には東京の大学への進学を考えていた様ですが、恩師等が東京で遊びに走る事を懸念して地元の大学への進学を勧めたこともあり、東北福祉大学へ進学しました。

東北福祉大学は全日本野球連盟傘下の仙台6大学野球連盟に所属し、東京6大学の様にリーグの知名度はなく、リーグの動向も全国的に知られる事は少ないのが現実です。

しかし佐々木主浩投手が在籍していた当時の東北福祉大学野球部には大塚、矢野、金本、上岡と言ったそうそうたるメンバーが居て、黄金期と言われる時代でした。

大学の各リーグ優勝校により実質的な大学日本一を競う全日本野球選手権では2年生と3年生に2度の準優勝を経験しています。

しかし大学時代には故障続きで腰の手術も受け、佐々木主浩投手本来の成績を残せたとは言えない状況でした。 大学在学中には高校野球の指導者になる事を念頭に、教員資格を取得していますが、こんな所にも故障続きの影響があったのかも知れません。

佐々木主浩氏の現在

佐々木主浩氏は横浜大洋ホエールズに入団し、プロで活躍し大魔神の愛称で親しまれました。その後2000年にMLBのマリナーズに移籍し、2004年には横浜に復帰するも2005年に退団し、現役を引退しました。

現役引退後は2017年までTBSテレビ・ラジオの野球解説を務め、現在はニッポン放送と日刊スポーツの野球解説者として活躍しています。

まとめ

佐々木主浩投手は高校・大学のアマチュア時代にも活躍はしていたものの、決して多くの人の印象に残る投手ではありませんでした。

佐々木投手と言えば、154kmの速球と数種類のフォークボールを武器として、その体格・風貌から大魔神の愛称で親しまれたプロ野球界での強烈な印象が強いと言えるでしょう。







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