太田幸司投手のプロ野球での球種(変化球)と球速と成績

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8月21日にレジェンド始球式で登場する三沢高校OBの太田幸司氏は、1968年夏の甲子園の決勝戦で松山商業相手に延長18回と翌日の再試合を含めて27イニングを一人で投げ抜き、準優勝で涙を飲むも、高校野球ファンの記憶にその雄姿が強く刻み込まれました。

太田幸司投手は実際どれくらいの球速(スピードボールを投げたのでしょうか)だったのでしょうか?
また、球種はどのような変化球を投げたのでしょうか?

本記事では、その太田幸司氏のプロ野球での成績と活躍について振り返ってみたいと思います。







太田幸司投手の甲子園時代のピッチングと球速・変化球は

画像)https://www.sanspo.com/baseball/photos/20150527/npb15052711000001-p2.html
太田幸司投手が1968年夏の甲子園大会の決勝戦1日目に18イニングを投げ合った時には、三沢の太田は速球派で松山商業の井上は制球派と評され、それぞれの持ち味を最大限に発揮した死投を戦わせと言われています。

この様に、太田幸司投手はどちらかと言うと速球派と言われていますが、スピードガンが日本の野球界に持ち込まれたのは1976年で、全プロ野球チームが持ったのが1979年頃で、それより古い時代の事で、そのスピードの実際は分かっていません。

三沢高校のキャッチャーも非常にスピードある直球であったと語っており、高校生としては速球投手であった事に違いはなさそうです。
またストレートの速球が中心であったものの、プロ野球1年目でスライダーも投げている事から、カーブやスライダーも織り交ぜられた投球であったと推察されます。







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太田幸司投手のプロ野球時代の球速と変化球

画像)http://www.sanspo.com/smp/baseball/photos/20150529/npb15052911000001-p1.html

太田幸司投手は高校卒業後の1969年に近鉄バファローズに入団し、13年間近鉄に在籍していました。近鉄退団後に、読売巨人と阪神タイガースに各1年在籍していましたが、1軍での登板のないまま引退しています。

近鉄時代の太田幸司投手は当初はオーバーヘッドスローであったものを3年目にはスリークオーターに投球フォームを改造しています。

高校時代には速球派と言われていましたが、プロでは多くの剛速球投手がいた事もあり、剛速球投手とは評価されていません。プロの野球中継でスピード表示され始めたのが1979年の事であり、プロでの全盛期の直球のスピードも記録には残っていません。

また変化球の球種としてはスライダー・カーブ・シュート等を投げていました。

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太田幸司投手の近鉄バファローズ在籍時のプロ野球成績

画像)https://muuseo.com/x-files_season100/items/125

太田幸司投手の近鉄バファローズ時代の成績は、防御率4.05で58勝 85敗 4セーブでホールド試合は318と言うのが通算成績です。奪三振率も普通で決して高い水準ではありませんでした。

近鉄に入団するも、甲子園のアイドル球児として人気が先行し、本人も実力と人気のギャップに悩み、オールスター戦での人気投票結果には悩んでいたほどです。
プロ野球評論家によれば、球速、制球、変化球、勝負度胸全てにおいて、太田投手は決してプロでは一流とは言えない水準で、それでも2桁勝利を3シーズン達成した事は、非常に努力した結果だと評しているほどです。

まとめ

太田幸司投手は甲子園で多くのファンの記憶に残る活躍を見せ、悲劇のヒーローとして人気が一層高まりました。
しかしその人気先行ゆえに、近鉄入団当初は実力の認識とのギャップに悩む事も少なくありませんでした。しかし、13年間のプロ1軍で戦い抜き、努力による戦績を残しているのは、ある意味立派と言えるでしょう。
レジェンド始球式に関して、死投を交わした井上明氏と一緒に甲子園のマウンドに立てる事が非常に楽しみだとコメントしています。







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